ホームコンピューターの原型だったパソコンの専門誌

MSXマガジン

先ほどから少し話題に出していると思いますが、ホビーパソコンというものはいわゆる『MSX』という8ビットのパソコンのことを指しています。これは子供に買い与えられることを想定した安価なパーソナルコンピューター、コンピューターの学習のためにコンピューターを作り出すことを目的にして作られたパソコンのことで、現代の子供達からすれば家庭用ゲーム機と同様のものだったということになります。ゲーム機と同等のパソコン商品というのはなんだか凄く贅沢なものですが、やはり開発段階ということもあって技術革新を図っていたときだったからこそ色々な開発が試みられていたのでしょう。これはパソコンとして、時にゲームとして、または楽器としても利用できることからニューメディアという全く新しい商品として誕生したのです。

こちらの商品はアスキーの副社長でもあり、I/O雑誌創刊時にスタッフとして活動していた西和彦氏が開発に関わっているためアスキーにとっては歴史あるかかわりを持っているのです。一時期はマイクロソフトと共同開発でMSXを作り上げることに成功しますが、当初からビル・ゲイツ氏がMSXに対して否定的な立場であり、西氏に説得される形で開発を行っていましたが1986年にはマイクロソフトとアスキーが提携解消をしてしまい、著作権はマイクロソフトに、商標権はアスキーへと委ねられるという最終的には少し喧嘩別れ的なものになってしまいました。私個人としては、実は見たことがないのでなんとも言えないのですが、歴史の流れを見るとこんなものまであったのかぁと感心しているというのが本音なところです。この当時の人からしてもこのMSXというマシンが一つの娯楽として迎えられていた、ということなのかもしれません。特にマイコンとは違いMSXは青少年向けに作られたマシンと言うことを含めると、後に一時代を築くことになるコンシューマゲーム市場の先端を歩いていた製品だと言えるでしょう。

マイコンとはまた違うコンピューターということで、さすがにマイコン専門雑誌を見てもこちらのMSX雑誌を見れば扱い方を知ることができるというものではありません、つまりはこちらについての専門的な雑誌が登場することになります。それがこの『MSXマガジン』という雑誌になります。ではこちらのMSXマガジンの特色も兼ねて、その始まりを見ていくことにしましょう。

MSXマガジンの始まり

こちらのMSXマガジンが刊行されたのは1983年から創刊0号として世間に登場しました。丁度この頃にはMSXが理論が発表されたこともあって、開発に協力・出版元も同じということもあって当時としては唯一のMSX雑誌として登場することになりました。当時のコンピューター雑誌としては珍しい中綴じの右開きという面白いデザインを採用しているため、そのことについても話題をさらうことになりました。このレイアウトについては直ぐに変更となり、従来の平綴じの左開きに戻されることになりました。一部で不評だったのかもしれませんね。

そんなこんなでMSXが発売されたことで、このMSXではこんなことができるというような様々な使い方を指南するような内容として展開していき、ハードウェアに関する記事を中心的に扱うとして、そのほかにもゲームを含めたソフトウェア関連の記事やMSXの活用方法などといった、これ一冊あればすべての使い方を習得できる秘伝の巻物的なものだと考えれば分かりやすいかもしれません。それだけ当時からすればMSXというものがそれだけ期待を込められいたこと、開発にも協力してることもあって全面的に押し出して行こうとする動きの中で雑誌も大幅に売れると予想していたと思われていたらしいのですが、そんな望みが叶うことはありませんでした。

雑誌の休刊

MSXが発売されるとアスキーとしては予想外の展開を迎えることになります、総合的に扱える万能コンピューターとして利用されると期待していましたが日本国内では主にゲームとして活用するという方向に傾倒してしまい、ライバル雑誌に大きく読者をとられる形になってしまったため発売不振も重なったことで赤字雑誌という烙印を押される形になってしまったのです。開発元のアスキーとしては15万部は売れるだろうと踏んでいただけに創刊してから数年で赤字を記録してしまい、後に出された雑誌に押されてしまうという結果になってしまったことは、大変悔しいことでしょう。その後は他の雑誌に見習う形で内容を全面的にリニューアルする形で、他者と同様にゲームを中心に特集した内容へと変更することになります。

これによって立て直されると思われていましたが、既に流れとしては遅れて発信してしまったという感が否めないために部数が大幅に伸びるということもなく、リニューアルというものについても大幅というよりかはそこまで大幅な改変を行っているということもなく非常に中途半端なものへとなってしまいました。

その後1990年代に入るとMSXはWindows95という存在に霞んでしまう形で存在自体が徐々に世間から消えていくことになってしまい、その影響を大幅に蒙る形で各雑誌の売上もおちていくようになりました。その後雑誌はわずか9年という短い時間の中で休刊という形に追い込まれてしまうようになってしまいました。

永久保存版として一時的復活

MSNマガジンの休刊はライバル誌においても休刊に追い込まれる形になってしまい、MSXも本体や関連機器なども生産されなくなってしまったため、メーカーとしても大ヒットを記録することが予想されていたマシンとしては正直物足りなさ過ぎる影響を思い切り蒙ることになってしまいました。その後2000年代にはいるMSXが一部で再度加熱するような動きが出たということもあるせいか、永久保存版と銘打ってMSXマガジンも再度刊行されるようになりましたが、三度刊行された後はその続編は出版されていないところから見るとそこまで売上を見込むことの出来ない商品として完全に見捨てられてしまった、言葉としては少し表現が汚いかもしれませんがどうしようもない状況にまで追い込まれてしまったという結果になってしまったのでしょう。

一時代を築くことになると予想されていたマシンの専門誌として風を切られることになりましたが、結果として日本国内を震わすことなく終わってしまった結果に開発に関わった人間全員が呆れてしまったことでしょう。これではビル・ゲイツ氏が難色を示した理由も納得がいくというものです。