まさに指南書だったパソコン雑誌

マイコンBASICマガジン

先ほど紹介したI/O雑誌は読者密着型の雑誌として、当時まだマイコンとしての地位というものは不確かな状態だった当時からすれば、マイコンに精通していた人々からすれば自分達以外の詳しい人々との交流を描いていたものとしての色合いが強かったということがよく分かります。こうしたマイコン雑誌の登場によって一部ではマイコンを使う人はやはり増えつつあったということは何となく予想できるかもしれません。人間何事も先進的なものには惹かれる傾向にありますから、恐らくそれに惹かれるようにして多くの人々がそういったものを利用しようとマイコンを持つようになっていったのかもしれません。その後、ホビーパソコンやポケットコンピュータといったものも登場するようになり、日本にも徐々にパソコンというものを受け入れるようになりつつある文化が少しずつ根付くようになっていくのです。80年台だといまだにアングラ的な要素のあるものでしたが、今や日本のみならず世界共通の機械として認識されている状況には、感服という二文字を感じざるを得ませんね。

今でこそパソコンを使うとなれば誰でも多少なりとも扱うことができます、学校の授業に取り入れられているといったこともあって、ますますパソコンを使うことが普通になっている世の中ですが、マイコンといった前時代のマシンが先端だった当初からすれば、一体そういったマシンをどんな風に使えば言いのか分からないということが奮発していたことでしょう。使うにしても周りに精通している人間がいないと利用するにしても使い方だけで見たところで具体的な仕様用途が分からない、という人も多かったでしょう。それに当時ではパソコンを使うということはプログラミングといった専門的な作業を要することになる人間が使用するマシンとして利用されていたので、現在で言うところのインターネットがまだ完成していなかった当初からすれば使い方は完全に専門的な仕事をする人のための仕事道具という面でのみ使用されていました。そんなマイコンという当時の人々にはテレビでも回りでもそうした情報を入手することが難しかったときには、やはり入門書というものが必要になってきます、そんなマイコンの十分活用法を掲載していた雑誌として『マイコンBASICマガジン』が登場することになります。

この雑誌は当時から考えたらIT業界への登竜門もとして利用されており、こちらの雑誌に掲載されたプログラム内容がそのまま採用されたことでプログラマとしての道を歩むことになったという実例を持っている人もいるというのです。雑誌に投稿したプログラム作品ということはそれだけクオリティの高い作品ばかりが掲載されていたことを意味していると思いますが、当時からすればそれだけ権威のある雑誌としての立場であり、また読者投稿型のI/0とはまた違った雑誌として活動をしていたことを意味しています。

基本的な歴史としては

雑誌の内容としてはやはり投稿作品を掲載する内容を行っていましたが、当時からすればまだまだ高価な商品だった8ビットパソコンが登場してから数年後、ファミコンといった家庭用ゲーム機などの登場によってそんな普段から触れることになるゲームを通して高額に興味を示した大学生、更に下は小学生までという幅広い年代層がこうしたものに触れる機械ができたことで、様々なプログラムが投稿・掲載されるということが続けられていくようになります。そのまま時代の流れに乗るように一時代を築くことになった4大マイコン誌を後継、つまりは次世代のパソコン雑誌として認識されるようになり、I/O雑誌世代のすこしあとの世代の青少年達にとってはなじみのあるプログラミング雑誌としての地位を築くことになるのです。はいタッチして世代交代、みたいな乗りではありませんでしたが、当時から独自路線を歩き続けていたI/O雑誌と比べた場合には、正当なプログラマーのための雑誌と考えられます。それでも一般の人からすればまだまだ縁遠い雑誌ではありませんでしたが、まだ世界に片足を踏み入れることになった人間からすれば分かりやすい内容だったでしょう。

しかしこの雑誌にはもう一つの特徴を持っており、その特徴を目的にして購読をしている人もいました。それはゲーム雑誌という側面です。1983年という当時大流行したアーケードゲームなどの特集を組んだり、また全国100店舗の強力を元にして作られたハイスコアランキングといったものも掲載するというコアな内容も掲載していたので、こうしたゲーム情報誌として活動していました。

傾き、そして休刊へ

激動ともいえるような80年台を超えると、ようやくWindows95の発売といった次世代型マシンの登場でますます日本はパソコンというものが全国規模で広がっていくことになって行きましたが、マイコンBASICマガジンとしては当時からのパソコンのプログラムなどを掲載する傍らで、新製品の紹介やゲームレビューといった内容を掲載することで一定の読者層を獲得して業界の中で根強い人気を得ることになりました。しかしやはりこちらもインターネットの普及によってプログラムソースを自分のウェブで配布するという手法が誕生してしまったことで、投稿で生きていたパソコン雑誌としては最大の強みともいえる誌面内容の一つを失うことになってしまいました。こうしたこともあってか1999年には大幅にベージ数を減らして刊行するといったことで何とか対応していましたが、公式サイトや個人で運営しているサイトなどで編集部に対する不満などが押し寄せる、もしくは議論されるといったことが発生してしまったことで、購読を止めてしまう読者が実際に出てきてしまうという事態に発展してしまったのです。

内容を薄くしてしまったことで読者去ってしまったのなら、増やせばいいのかということを宣伝してもまた更に苦情が押し寄せるという連鎖に捕われてしまったためやがて一つの転換をすることになります。改革としてそれまで行っていた市販のゲーム関連の記事を全て取りやめて、中高生向けのパソコン教育史として再スタートを切ろうとしましたがうまく行きませんでした。切ってしまったページ数を戻すといったこともしないで記事が不十分だったため、ついには雑誌の総ページ数を130ページというところまで減らしてしまったことで新たな読者層を獲得するまでには至りませんでした。その後売上も急激に下降へと向かってしまい2003年5月号をもって休刊になってしまったのです。一時代を築いた老舗のパソコン雑誌ということもあってITニュースサイトに休刊するという事実が掲載されているところから見ると、まだマイコンの時代の人々にとっては貴重な情報誌として見られていたということ、そしてIT分野においてI/Oと同様に欠かすことの出来ない歴史の一端を語る雑誌としての側面があったということに他ならないということが理解できます。最終的には売上が伴わなくなってしまいましたが、やはり途中からの読者を獲得するために購読者をないがしろにした内容を取り入れた、この事実が大きいでしょう。